お世話になったエストニアについて

こんにちは、りゅさんといいます。

スペースをお借りして、お世話になったエストニアについて書きます。

エストニア(共和国・31)

エストニアは絶えず侵略と占領に晒されてきた歴史を持つ国です。

ソ連からの独立回復は1991年で、私たちの国、日本の、国としての最後の大きな転機を1952年の主権回復として両者を比べると、エストニアという国がいかに若いかわかります。すごく大雑把に言えば、今ある日本という国の年齢がおよそ70歳なのに対し、今あるエストニアという国の年齢はようやく30歳になったばかりということです。

国の若さを象徴する大胆な施策「電子政府」が有名でITのイメージばかり先行しがちですが、ITとは無縁に一年の大半を第六都市で暮らして私たちはエストニアという国が好きになる一方だったので、電子国家でも首都タリンでもないエストニアの魅力について話したいと思います。

空、自然、雪

エストニアは空が広いです。

とはいえ、私が長い間住んでいたのは東京なので、田舎ならどこでも東京よりは空が広いです。それでもエストニアの空は、恐らく、日本のどの田舎から見上げる空よりも広いです。理由はシンプルで、エストニアの国土が限りなく平坦だからです。どれくらい平坦かというと、エストニア語の教科書に「エストニア最大の山」として載っているスール・ムナマギの標高は、318mです。富士山の標高は3776.12mです。つまりはっきり言ってしまえば、エストニアには山はありません。ただし、エストニアには山がない、そのぶんだけ広い空があります。

360°地平線を遮るものがないと本当に空が円いと錯覚するんだなと思いました。きっとエストニア人の多くは東京から来た我々が空を見上げて感動しているのを理解できなかっただろうと思います。

夏、エストニアは白夜の一歩手前くらいの日照時間になります。大体21時-22時くらいまで日が昇っていて、沈んでも3時くらいには再び日が昇るようなイメージです。一番短い時で、24時日没、2時日の出くらいだったように思います。

この時期、日沈後も空は真っ暗ではありません。沈み方が浅いからなのか詳しいことは分かりませんが、地平線のあたりが夜通しぼんやり明るいです。これがとても綺麗で、一人で夜更かししている日などは時々眺めていました。

冬は冬で、夏とはまた違った意味で、エストニアの夜は明るいです。空が白く、電気を消した室内より外の方が明るく見えます。これも本当に神秘的で、屋根に雪の積もった家々とその上に広がる仄明るい空を見るたび、ああ自分は今雪国にいるんだなあと感じました。

自然

エストニアは自然が豊かです。

大抵どこの街でも近くに散策可能な自然保護区があります。街の近くに自然があるというよりも、街と街の間に手付かずの自然が広がっているという方が正確かもしれません。東京から近郊の森に出かけようとすると一日がかりになることを考えると、信じられないほどの手軽さで森や湖を訪れることができます。

人間恐ろしいもので、一定期間暮らしているとどれだけ綺麗な景色でもそれがそこにあることにある程度慣れてきます。それでもやはり、エストニア人にとってはそこにあることが当たり前になっているであろう森や湖、が素晴らしかったです。

エストニアを離れた今、散歩に出かけて眺めていたなんてことのない風景が恋しいです。

エストニアは滅多に雨が降りません。不思議なことにほとんどの場合、雨は降ってもすぐに止みます。大袈裟に言えば、天気は「晴れ/曇り」もしくは「雪」の二択です。「晴れ」と「曇り」が一括りになっているのは、前述の通り空が広すぎるからです。曇っている時でも、少し遠くの空は晴れていたりします。

広い空全体が雲で覆われている時、そういう時は大体「雪」です。

港町のタリンでは雪の降りしきる中、カモメが空を舞っていました。ヴィリャンディを初めて訪れた日は吹雪で、通りに一切人影がなく、街全体が寝静まっているかのようなその光景を今でも覚えています。パルヌで調子に乗って氷を踏み抜き、凍った海に膝上まで浸かりました。人生で初めて凍った海を歩き、凍った河を歩きました。氷をくり抜いて椅子にして釣りをするのは映画の中のことだと思っていました。小さな子が皆、ジャンプスーツを着せられソリに乗せられてお出かけしていて可愛いです。天窓は雪で塞がるということを知りました。寒すぎて歩きながら一度泣きました。メルカリで買ったUGGは浸水しましたが、エストニアのリサイクルショップで買ったノーブランドのブーツは浸水しませんでした。演者も観客もダウンコートの、氷点下で開催される野外コンサートを見ました。人生で初めて凍った湖を対岸まで徒歩で渡りました。エストニアを去る日、最後に雪が降りました。

避暑地として夏に北国を訪れる人も多いと思うのですが、個人的には北国こそ冬がベストシーズンに思えます。冬のエストニアはどこに行っても美しいです。

Sinimustvalge

エストニアの国旗 Sinimustvalgeは、これ以上ないほどによくできています。

上から、sini 青・must 黒・valge 白

私にとってのエストニアの魅力そのものです。

My Favorite Estonian Things

HUMANA

エストニアのものではありませんが、5大陸45か国にまたがって活動するNGOが運営している古着のリサイクルショップです。エストニアの大きめな街には大体あります。2-3週間かけて店内のものの値段が徐々に下がり、最終日には全てのものが一律1€になり、翌日は店を閉めて店内総替え、というサイクルで回っています。足りない衣服は大体HUMANAで調達していました。

Home – Humana Estonia

Karnaluks

タリンにある巨大な倉庫みたいな手芸用品店です。品揃えは蒲田のユザワヤ本店を軽く凌駕します。オンラインでの販売にも対応しています。タルトゥの手芸屋さんで、在庫を尋ねた外国人が店員さんに「Karnaluksは知ってる?kl24で検索してください。Karnaluksに無かったならそれはエストニアに無いことを意味します」と言われているのを見たことがあります。

Leivakas

パルヌ河のほとりにあるベーカリーです。パルヌ滞在中、散歩を兼ねてよく訪れました。エストニアの伝統的な主食である黒いライ麦パンを美味しいと思えるようになったのは、ここの黒パンを食べてからです。Leivakasの黒パンは煮込み料理と本当によく合います。

Pierre

数少ない外食の中でダントツで記憶に残っているレストランです。初めてタルトゥを訪れた際、ランチタイムに人が次々にPierreに吸い込まれて行くのを見て恐る恐る私たちも入店し、値段と美味しさのギャップに驚きました。タルトゥの思い出は「Pierreが美味しかった」です。

Pärnu

首都タリンに対し、第二都市タルトゥが「文化的首都」と呼ばれることがありますが、エストニア屈指のリゾート地である第三都市パルヌは「夏の首都」と呼ばれています。私たちはシーズンオフの冬に訪れ、1ヶ月暮らしました。のちにバカンスシーズンの夏にも再訪しましたが、結論から言えば、パルヌ、特にパルヌビーチ、は冬が美しいです。冬のどこまでも凍ったパルヌ湾は絶景です。

パルヌ湾に流れ込むパルヌ河ももちろん冬には凍りついているため、凍った河の上を歩くことができます。

Viljandi

私たちが一年のうち大半を暮らした街です。

Viljandi: A Jewel of a Town in Deepest Estonia – Deep Baltic

美しい街です。ヴィリャンディ城跡は一年中いつ訪れても美しいです。夏に国内有数のミュージックフェスティバルが開催されることもあり多くの観光客がこの街を夏に訪れますが、パルヌ同様、冬、雪景色のヴィリャンディはとても美しいです。この街で暮らした日々は私たちにとって宝物です。

Soomaa National Park

パルヌ郡とヴィリャンディ郡にまたがるエストニアでも有数の国立公園です。いつも通りのエストニアで見所の大半は森と湖ですが、ここソーマーには森と湖以外にも巨大な湿原があります。

Hartwin Dhoore

ベルギーとエストニアを拠点に活動しているベルギー出身のアコーディオン奏者です。私たちはヴィリャンディで毎年6月に開催されている Viljandi Hansapäevadというフェスティバルで彼の演奏を聴く機会に恵まれました。

Lotte

エストニアの国民的アニメキャラクターです。『Lotte ja kuukivi saladus』を初めて見たとき、日本ではまず見かけない映像の雰囲気に惹き込まれ、エストニア語が一切分からないままに最後まで観ました。

Kaspar Jancis

エストニアのアニメーション作家です。本人名義で作品の多くがVimeoにアップロードされています。滞在中に『Frank ja Wendy』のDVDを手に入れられなかったこと悔やんでも悔やみきれません。もっと名前と作品を世界に知られるべきアーティストだと思います。

エストニアには個人制作の優れたアニメーション映画やストップモーション(コマ撮り)映画がたくさんあります。

Arvo Pärt

エストニアが世界に誇る作曲家です。実際に訪れるまで理解していなかったのですが、エストニア人にとっての世界で最も有名なエストニア人です。何より衝撃だったのがタリンのとある食料品店で店番の女の子が『Für Alina』をかけていたことで、もうすぐ90歳を迎える芸術家の作品が自国の若い世代にごく自然に愛されているのを目の当たりにして、凄いことだなと思いました。

ERR

エストニアの国営放送局です。ホームページがニュースサイトとストリーミングサイトを兼ねているのですが、特に後者のストリーミングサービスのクオリティが凄まじいです。TVだけで3チャンネル(ETV、ETV2、ETV+:ロシア語話者向けチャンネル)、ラジオが5チャンネル(Vikerraadio、Raadio 2、Klassikaraadio:レトロ音楽チャンネル、Raadio 4:ロシア語話者向けチャンネル、Raadio Tallinn:外国人向け音楽チャンネル)、加えて、過去に配信された番組のアーカイブ(Jupiter)や子供向けストリーミングサービス(Lasteekraan)まであります。これら全てが、ERRのホームページ上で会員登録不要の無料で提供されています。TV・ラジオともに、一定時間までなら巻き戻して再生することすら可能なほどの至れり尽くせりぶりで、いち配信サービスとしてのユーザビリティは有料サービスのDisney+を遥かに凌ぎます。私たちは音楽チャンネルのRaadio Tallinnを一年中よく聴いていましたし、訪れたパン屋さんでRaadio Tallinnが流れていたこともあります。ワールドカップ2022はETVで観戦しました。

news | ERR

Estonians are not very nice people

Estonians are not very nice people, we don’t like to smile and say good things

とても親切にしてくださった家庭医さんからのメールより

エストニア人はどちらかといえば社交的でなく、見ず知らずの人間にむやみやたらと愛想を振りまくことを好まないかもしれません。エストニアの国民性を表すのに “zero emotion”という自嘲的なフレーズが用いられることもあります。

一方で、一年間のエストニア生活で私たちがエストニア人の親切に救われたことは一度や二度でなく、異物でしかない私たち二人に優しく接してくれた人がたくさんいるのも事実です。何より、私は日本人です。「内向的で」「表情の変化に乏しい」ことに関して我々日本人の右に出るものはいません。

エストニア人は自分たちの歴史に一定の誇りを持ちながら、どこか「エストニアなんて」と思っている節があります。

近隣諸国が軒並み、大国(フィンランド、スウェーデン、ロシア)もしくは、かつて大国だった国(ラトビア、リトアニア)だからなのか、それとも、「電子国家」や「北欧の仲間入り」など華のある対外アピールとは裏腹にそこまで良くない国内景気に依るのか、何に端を発しているのか正確にはわかりませんでしたが、出会ったエストニア人の中に「なぜこんな国に?」と不思議がる人が一定数いて、彼らが本当に「エストニアなんて何もない」と思っていそうなことに私たちはびっくりしました。

Eesti muutis meie elu.
エストニアを訪れて私たちの人生は変わりました。

Teie riik on armas ja te olete armsad inimesed.
あなたたちの国は素敵で、あなたたちは素敵な人々です。

Suur tänu!
ありがとう!

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